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コラム

プロフィール

一般社団法人 日本心理療法協会 認定 心理カウンセラー1級
財団法人メンタルケア協会 認定・修了
 メンタルケア・スペシャリスト
内閣府特別機関 日本学術会議協力学術研究団体 メンタルケア学術学会 認定
文部科学省所轄 財団法人 生涯学習開発財団 認定 メンタルケア心理士(R)、准メンタルケア心理専門士(R)

寺上 匠 (てらかみ たくみ)

1973年6月6日 神奈川県生まれ O型

金属彫刻制作活動を続けた上、サラリーマンに転向。
日々の業務に心を病み、退職する。これをきっかけに自分の内面を深く顧みるきっかけとなる。
以降、心の悩みや仕組みに 大きな気付きを経験し、セラピストとして活動することになる。

寺上プロフール画像

私も「うつ」でした・・・。

美術大学を卒業後、様々なアート活動をしていました。「自分は何かを表現できるはずだ。」、「表現している自分こそが自分だ」そんなことを自らのアイデンティティにして日々奮闘していました。

造形屋で働きながら制作したり、展覧会などで発表していましたが、いつの間にやら仕事をしている自分の割合が大きくなってしまい、「こんなはずじゃなかったんじゃないかなぁ・・・。」なんて思っている矢先に仕事で怪我をしてしまい、造形業を退くことになりました。

そしてスーツを着て働くことになったのですが、オーバーワークに加え 完璧主義者で自分ひとりでなんでも抱え込んでしまう性格のため、常にいっぱいいっぱいになっていました。
一生懸命仕事をこなすたびに新たな仕事が詰め込まれ、私の心は悲鳴を上げていましたが、そんな叫びに気付かず「まだやれる、もう少し頑張れば楽になるはず。」と自分に言い聞かせ、目の前にある仕事をこなす日々でした。

疲れているにもかかわらず、目が冴えて眠れない・・・。
毎日頭をかなづちで叩かれているかのような片頭痛と吐き気。
いつも頭に濃厚な霧がかかったような拭いきれない不安。自分の価値の不在感・・・。

次第に職場での人間関係も悪化して仕事に行くのが嫌で嫌でたまらなくなりました。

私はいつの間にか鬱になっていたのです。
当然といえば当然の結果です。

あれだけ叫んでいた心をないがしろにし、自分の心と向き合おうとしなかったため、心は身体に悪影響を及ぼすという強行手段に出たのです。

私は会社を辞めました。
しかし長年抑え込んでいた心の奥にあった感情の暴動は収まりきらず、今度は「パニック障害」を引き起こし、私は恐怖のどん底に落とされました。

なんでもない日常の中で、突如 何の理由もなく ものすごい重圧の不安とうずくまってしまう程の胸痛が幾度となく襲いかかってくるのです。
街中で、家で、友達といる時、ところかまわず襲ってくるそれは
「私のまわりの酸素がなくなってしまうんじゃないだろうか」
「このまま狂ってしまうんじゃないだろうか」というくらい息苦しく恐ろしいもので、立っていることはおろか、存在していること自体が不可能だと感じるような、自分でも訳がわからないコントロール不能のまさにパニック状態が続くのです。

初めて心療内科の扉を叩きました。
診断結果はやはり「うつ病」と「パニック障害」。

そこで処方された薬で徐々に回復に向かっていたのですが、まだまだ休ませてはくれませんでした。
次は父親が不治の病で入院。余命半年と医師から告げられたときには愕然としました。とても尊敬し、愛していた父だったので、私の心はそれを受け入れることができずに抵抗し、うろたえました。父ピヨ

あとでその頃の私の様子を妻から聞いたのですが、(本人は無自覚、記憶も曖昧)軽い躁状態となっていて、
余命の短い父がなんとか喜ぶようなことを 寝食を忘れて模索していたようです。

うつ状態も日に日にひどくなり、布団から出られなくなったり、誰とも会いたくなくなり、自分が死ぬことばかりを想像しては疲れて眠る日々。
心療内科で処方された薬もかわるがわる飲んでみても快方には向かわない。

余命少なくなってきた父にも会って顔を見せたく思っているのですが、身体がどうにも動かないのです。両親には自分がうつ病、パニック障害であることを隠していたため家族に会うのは余計辛いものでした。

父逝くそして父は医師から余命を宣告されてから、計ったかのように半年でこの世を去り、悲しむ間もなく葬儀や残務処理に追われる日々でした。
同じような経験をお持ちの方もいらっしゃるかと思いますが、毎日を忙しくすることで悲しみを忘れるようにしていたのかもしれません。

しかし私はここでようやく自分の心に目を向けるようになり、自分の心、感情に素直に向き合うことの大切さに気づきました。自分の人生は自分でしか変えられないと。

他人からどんなに有効なアドバイスをいただいても、自分の心を開放していくのは自分にしかできないのです。私は自分自身を深く見つめ直し自ら縛った価値観を手放していきました。
そしていままで抑え込んでいた感情を開放していくことにしました。

パニック障害になったのはかつて仕事や人間関係が悪かったせいではありません。
それまでの私を作り上げてきた私の価値観が原因だったのです。

うつ病がひどくなったのは父親が倒れたからではありません。
父が死なないものだと思い、執着、依存していた私の観念が原因です。

うつ・パニック障害を発病したのはきっかけであって、私の心の奥底の
「このままの価値観では生きていけませんよ。もう無理ですよ。」との訴えが
形になって現れただけのことでした。

こうした私のもう要らなくなった価値観を手放していき、いつの日か楽になっている自分がいました。
開放感と今までにない自己の存在感、存在価値をありありと感じることができたのです。
自分の心が少しずつ癒されていき、もっと自らの癒しを進めたいと思っているうちに、いつの間にかセラピストの道を歩んでいることになりました。

他の人が癒されていくのを共に経験することは、自らの癒しを進めることだったのです。

寺上 匠

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